『喜んで実践する孝情、真の信仰』2018年10月7日 礼拝説教

説教者:林 秀隆教会長

み言訓読:

●お母様は、先生が導くとおりに無条件に信じていかなければなりません。無条件に信じなければならないのです。お母様が、女性として夫がどのようなことをしても従順に屈服し、それ以上の条件は立てることができないという、限界点までも越えて従順に屈服した基盤を立てたので、その基盤の上に「神の日」まで設定できたのです。

(「真の父母の絶対価値と氏族的メシヤの道」P119)

●絶対服従とは、自分自身までもすべてなくして完全投入することを意味します。このように投入して忘れ、投入して忘れ、ついには自己概念までもすべてなくなるゼロ・ポイントに進入するのです。愛を否定されてももっと愛し、投入してももっと投入してこそ、怨讐を真の愛で自然屈伏させる位置まで行くようになるのです。神様がそのような道を歩んでこられ、天地父母がそのような道を歩んでこられたのです。投入して忘れ、投入して忘れることを継続する人が中心者となり、全体相続者となり、孝子の中の孝子になります。

(2002.02.02)

●父母から「やりなさい」と命令されてやるのではなく、自分の意志によってやり、父母の心を知って、その理想に対しても責任を果たそうと立ち上がることのできる子女が現れなければなりません。そうして初めて、全人類のお父様として復帰摂理全体に責任を負った神様の秘密を相続させることのできる基盤が、地上に立てられるようになるのです。

(「真の父母の絶対価値と氏族的メシヤの道」P43~44)

●愛の本質とは何でしょうか。愛の本質とは、人に何かをしてもらおうとする思いを捨てて、人のために、全体のために先に与えて、為に生きることです。与えても、与えたという事実そのものを忘れてしまい、絶えず与えるのが愛です。それは喜んで与える愛です。母親が子供を胸に抱いてお乳を与えるときに感じる喜びの心情がまさにそれです。

(文鮮明師自叙伝P219~220)


はじめに、感謝することの大切さについて、ある人に聞いたお話を皆さんにしたいと思います。 家族も親戚もいない孤独なあるおばあさんがいました。おばあさんは、ある人に悩みを打ち明けました。「自分は年老いて病気で入院しているので人にお世話になりっぱなし。若い頃と違って、もう人の役に立つこともできない。もう早く死んだ方がいい」。すると、悩みを聞いたその人はこんなアドバイスをします。「いいえ、おばあさんにも人の役に立つこと、できることがありますよ。例えば、おばあさんに親切にしてくれる人、世話をしてくれる人に心から感謝するんです。ありがとうございますと言うんです。それだけでも、おばあさんは人から喜ばれる人なんですよ」。

そんなことかとガッカリしたおばあさんでしたが、振り返ると「あれがない、これがない、あそこが痛い、ここが痛い」と不満ばかりを口にしてきた自分だと気づかされます。看護師の対応も仕事だから当り前と思い、少しでも遅いとイライラしたり皮肉や嫌味を言わなければ気がすまず、なんて自分は感謝のない日々を送ってきたのだろうかと思いました。

その日からおばあさんは、病室にやって来る看護師や掃除の人に「ありがとうございます」と顔を見て頭を下げるようにしました。すると相手は笑顔になり、おばあさんも嬉しくなりました。しだいにおばあさんの心から不平不満が消えていきます。ある日のこと、おばあさんの病室に見知らぬ婦人が訪ねてきました。事情を聞けば、何年も不登校だった息子さんがこの病院ボランティアのお蔭で元気になったそうです。なかでもその子はお世話をする度におばあさんからとても感謝され、人の役に立てる喜びを知り、将来は病院で働く人になりたいと言って不登校から立ち直ることができたというのです。

 婦人は涙を流しながらおばあさんに感謝しました。おばあさんは婦人に深々と頭を下げ、今一度あのアドバイスの言葉をかみしめたのでした。おばあさん自身も幸せに満たされていたのです。私たちは感謝することで、人の存在を大切に思えるようになり、自分の存在意義に気づかされます。感謝することで、人のために役立つことができ、喜び合うことができるです。

 信仰生活も同様です。み言を知っている人、み言を信じて訓読を熱心にする人は沢山いますが、実践する人は少ないのです。み言をよく信じていても、実践しなければ自分のものにはなりません。感謝は誰もが知っている言葉ですが、表現してみて実践してみて初めて心情に刻まれ、幸せになることができるのです。

 天の父母様(神様)を知っている人、信じている人も沢山います。では真の愛を実践する人はどのくらい、いるでしょうか?人は愛する努力をしたときに霊人体が成長するようになっています。だからこそ「愛天愛人愛国の生活」が大切なのです。

 また信仰生活には三段階あります。最初は、言われるので従い、自分を動機にした使命感で外的にやろうとする「行義の信仰」。次は神様を信じ、内的に悔い改めて動機の転換をする「信義の信仰」。そして天一国時代となった今は『侍義の信仰』だというのです。祝福家庭は神様と実の親子関係です。信じて行なうだけでなく、親の心情と願いに一致し、言われなくてもやろうとする親孝行の信仰こそが真の信仰です。行義と信義を通過した先に侍義があり孝情があるのです。

お母様は今年、アフリカに始まり十一月にはまたアフリカを訪問されます。世界を歩みながら率先して真の愛を実践されるお母様です。神氏族メシヤ、家庭時代を迎えた私たちは家庭を誇らないといけません。

『近説遠来…近き者よろこびて、遠き者来たる』私たちの家族が、食口たちが感謝して喜んで仲睦まじく暮らすならば、わざわざ呼ばずとも、遠い人たちが心惹かれてやって来るというのです。


  

 

世界平和統一家庭連合 和歌山北家庭教会

天の父母様の真の愛を相続しよう! 再臨のメシヤ、真の父母様と一つになろう!

0コメント

  • 1000 / 1000