主 礼:林 秀隆教会長
題 目:先祖救って、我が身助かる
御言訓読:
人生の結実体(天一国経典天聖経P744~)
善の神様と、その反対の悪のサタンの間に挟まっているのが人間です。ですから、
一生をかけて「私」が善を追求しながら行くようになる時は、善の神様が共にあるのであり、その反対に立つようになる時は、悪のサタンが共にあるのです。これが現在の人間の運命です。
一生の路程で、善の神様を慕いながら善のみを残すことができる道をどのようにして立てていくかということが、人間が何より希望することにならざるを得ません。
そうすることによって善の神側に立つことができますが、できなければ悪の側に帰結します。絶対的な善を中心としていらっしゃる神様を人間が絶対的に信じ、その方と一つになる道を模索することによってのみ、私たちの人生行路が善で始まり、善の過程を経て、善の結実を結ぶことができます。私たちが一生をすべて生きたのち、善と悪を一つ一つ差し引きしたときに、悪が善より多ければ悪の主管圏内に帰結し、善が悪より一つでも多く残る時には、善の主管圏内に帰結するのです 。
堕落とは何かと言うと、み言の実体と心情の関係が離れていったことです。ですから、皆さんは、み言を知って、み言を実践しなければなりません。み言を実践するには、父母の心情を備えて行動しなければなりません。蕩減復帰の解怨ができる実体的な行動を経たものであってこそ、祝福してあげることができます。それは言葉だけではありません。それが言葉だけであってはいけないのです。そして、天の一族、言い換えればこの国の生命体になるのです。
これから皆さんは、生霊体にならなければなりません。そのようになって、入籍して自分の位置を求めていくのが復帰の路程です。ですから、皆さんは入籍しなければなりません。生霊体に連結され、入籍されれば、皆さんがどんなに間違いどんなに誤ったとしても、サタン世界で立てた法で処理できなくなります。今日の世の中でもそうではないですか。アメリカ人を韓国の法律で処理できますか。国籍が違うのでできません。そのような圏内に入っていけば、その圏内の法を通じてのみ適用するようになります。ですから、サタン世界の法は、一度超えれば適用できないというのです。サタン世界の法が適用できないので、結局は、この地上の法ではできないのです。それに応じた蕩減的な条件を立てたからです。ですから、地獄には行かなくなります。
説 教:今日は11月度の『命日孝情奉献礼式』の日です。先ほど、134名のご先祖の御名前をお一人お一人読み上げさせていただきました。ご先祖にとっては、天を中心とした公的な場で自分の名前が呼ばれることは、この上もなく嬉しく光栄なことなのです。それは年に一度のことかもしれませんし、残念ながら一度も呼ばれたことがないご先祖もおられるのではないでしょうか。私たちが家族や親戚を大切にするように、見えない親族であるご先祖も大切にしなければなりません。ご先祖は血筋を通して地上の子孫に働きかけることができます。生前、子供がいなかった人でも自分の兄弟やいとこ筋、甥や姪などの血統圏をたどって地上に働きかけることができるのです。
ご先祖の中には、良い先祖も悪い先祖もいます。人間には生まれ持っての性格もありますが、育った環境や人生での様ざまな経験が自分自身の考え方や人格をつくっています。ですから、いま皆さんが持っている根性は、あの世でも変わらないというのです。地上で根性悪く生きた人は、霊界でもそのまま同じような根性の悪い人ばかりの所へいって暮らすようになります。逆に、為に生きる愛の豊かな根性の持ち主は、霊界でも同じような円満な根性の人ばかりの所で天国生活をするようになっているのです。地上でどのような根性をつちかってあの世に逝くのか、今一度、自分の人生をふり返ってみることが大切なのではないでしょうか。
ところで霊界と地上界は互いに密接につながっており、地上界は霊界の映しだといえます。『先祖の様子は鏡のようにあなたの家庭に映る』というのです。自分の家庭を見れば、今ご先祖がどのような状況にあるのかが自ずとわかるというのです。ですから霊界のご先祖を幸せにしてあげることで地上も幸せにいくようになるのです。ご先祖を無視して自分だけが幸せになろうとしても叶いません。『先祖救って我が身助かる』というわけです。
生前、地上で自己中心に生きて人を傷つけ、罪を犯してきた悪い先祖は、暗くて寒い霊界で同じような根性の人たちといがみ合い裁き合いながら居ます。彼らは自分でそこから出ることができず罪を償うこともできません。そのため子孫に苦しみを訴えて救って貰おうとして、家庭不和や病気や事故など様ざまな不幸を起こすのです。このような時、私たちはどのように向き合ったら良いのでしょうか?恨んだり不平不満を言わずに、ああこれはご先祖からの救済信号なのだなぁと気付いてあげ、「このような事があったんですね。苦労されましたね」と受けとめることが重要です。私が甘受することで蕩減(罪の穴埋め)されるのです。そこから道が開かれていきます。
一方、生前に人の為に生きて徳を積んだ良い先祖は、地上の私たちに良い出会いや良いひらめき、良い出来事を引き寄せてくれます。子孫が大難に遭いそうな時は小難になるよう助けてくれ、さらに小難を無き難にしてくれます。そのため子孫は家庭が円満になり健康や万物にも恵まれます。類は友を呼ぶと言いますが、良い先祖たちは、感謝の心で明るく他の為に生きている人を応援したいと思うのです。また地上も同じで感謝する人には感謝の人が引き寄せられて発展するようになっているのです。
真のご父母様はみ言は基より、書写や奉献書、孝情奉献礼式を通じて、ご先祖が幸せになる道を開いて下さっています。先祖解怨や先祖祝福を通して霊人も地上人もすべてが神様のもとへ帰ることができるようにして下さいました。ですから良い先祖も悪い先祖も、全てのご先祖が幸福の応援団なのです。『先祖救って、我が身助かる』。今日を起点に、新たな気持ちで出発していきましょう。
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