説教者:林 秀隆教会長
題目:責任を果たせる真の主人になろう!
み言訓読:
●ちょうどアベルにカインが順応しなければならないのと同様に、天のみ旨を指向する心の命令に体を順応させる生活であるともいえる。また、人間は堕落して、万物よりも劣った立場にまで落ちたので、万物をアベルの立場に立てて、それを通してのみ神の前に出ることができたのであるが、これがすなわち献祭である。 (原理講論P295~296)
●蕩減復帰するためには、祭物的な条件が必要ですが、祭物を捧げるためには精誠を尽くさなければなりません。思いどおりにできるなら、どれほど良いでしょうか。自分の思いどおりにすれば、神様が受け取れないのです。話にもならないというのです。そのため、条件物は「私」の生命の代身です。「私」の代わりに死ぬのです。 (天一国経典「天聖經」P1192)
●アブラハムが子女を祭物として捧げたのと同じように、心情的に切っても切れない関係を備えた立場で捧げなければならないのです。このような立場で祭物を捧げるべきです。そのため、自分にとって一番貴いものを祭物として捧げなければなりません。物質を捧げるときは、皆さんが使い残した物を捧げれば罰を受けます。そのような物は、かえって捧げないほうがよいのです。
(天一国経典「天聖經」P1192~1993)
●「天一国主人」というとき、責任者と主人は違います。
責任者はその時々によって離れていけますが、主人は永遠なのです。この地の家庭を中心として主人になるためには、一人ではなく、夫婦で主人にならなければなりません。
夫婦だけではありません。四位基台を完成し、三代が主人にならなければなりません。三代が主人になれなければならないのです。祖父、祖母、父、母、その次に自分たち夫婦、そしてその息子、娘まで、代数としては三代ですが、段階としては四段階になります。それが天一国主人です。
(天一国経典「天聖經」P1338)
●十分の一献金は、「私」が所有している物の中から十分の一を神様に捧げることにより、全体を捧げるという意味があります。父に全体を捧げるのではなく、その中から精誠を尽くして十分の一を捧げるというのは、そのような意味で価値があるのです。そのように十分の一を捧げることにより、残りの十分の九も聖なる物として取り扱われるようになります。このように十分の一献金を捧げながら暮らす人は、絶対に滅びません。日がたてばたつほど、その人の「天の倉庫」があふれるようになっているのです。(天一国経典「天聖經」P1193)
◎説教:
今日の説教は『責任を果たせる真の主人になろう』というテーマです。家庭連合の時代を迎えていますが、信仰生活は全ての基本です。信仰生活とは、天のみ旨を指向する心の命令に体を順応させる生活をいいます。人類の最初の祖先であるアダムとエバが堕落してしまった為に、人間は万物よりも劣る立場に落ちてしまいました。そのため旧約時代は万物をアベル(より神に近い者)として、供え物を通して神の前に出たのです。 堕落してしまった人間は良心の声に聴き従うことができなくなり、自己中心 (邪心)の思いにとらわれ万物に主管されるようになりました。お金の力で判 断を誤ったり、ギャンブルなどで人生を狂わせたり、いつも翻弄されてきました。本来、万物は人間に愛で主管されることを願っています。万物は愛を現すためにあるからです。私たちが働くのはお金のためではなく、家族や大切な人を愛するがゆえに働いているのです。本然の姿に還ろうと努力して心が体を主管する生活をすることを信仰生活というのです。 蕩減復帰(本然の状態に戻すこと)するためには、祭物的な条件が必要ですが、祭物を捧げる ためには精誠を尽くさなければなりません。旧約聖書に出てくるアブラハムは、三種の供え物(雌 牛、羊、鳩)の象徴献祭を失敗して、わが子であるイサクを献祭しなければならないという試練 に遭いました。この時、彼は完全に自分というものを無くし、心情的に切っても切れない自分以 上に貴い存在を祭物として捧げようと決心したのです。ですから条件物は「私」の生命の代身だ というのです。捧げるときは、自分にとって一番貴い物を感謝の心で捧げるのであって、けっし て残り物を捧げてはならないというのです。また捧げる者に惜しむ心や不満があれば献祭にはな りません。万物献祭は、私自身が神様からの信頼を取り戻すためのものだからです。 古今東西、教会や神社仏閣どこでも参拝する時には感謝献金やお布施や御供えをするものです が、何故するのでしょうか?それは、神様が捧げる者の心情を見て「この者はサタン(魔王)の 眷属ではなく、確かに神が所有する者・私の身内である」と、所有を決定するためだというので す。さらに、私が所有する物の中から精誠を尽くして十分の一を神様に捧げることで、神は全体 を捧げたと見られ、残りの十分の九も聖なる物として扱われるようになるのです。こうして十分 の一献金を捧げながら暮らす人は絶対に滅びません。神が役事するのです。 信仰が立てば、次は実体です。信仰基台は神との関係なので自分一人でもできますが、実体基 台は人との関係なので人を愛さなければできません。アベルとカインが一体化して初めてサタン が屈服するのです。いくら信仰を立てても実体の生活を変えなければ成就しません。実体を変え る生活が重要なのです。お互いに為に生き合いながら神様の似姿になっていくのです。 『天一国主人』は夫婦が主人にならなければなりません。四位基台を完成して三代圏が主人で す。責任者と主人は違います。責任者はその時々によって離れていけますが、主人は永遠です。 いま、お母様は私たちに「対象の生活から主体の生活になりなさい」と言われます。言われてや る対象的意識の生活ではなく、自分が主体になって何かをやる主体的意識の生活に転換するので す。補佐的意識から責任心情へ、受け身・保守的から能動的・改革的へと変わるのです。一日が 変わらなければ、十年後も百年後も霊界でもそのままです。朝、目が覚めた時に新鮮な空気の中 で、何か一つ前向きな気持で行動を起こす決心をして一日を出発しましょう。そして毎日を積み 重ねながら、天一国の真の主人となっていきましょう。
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